家元・立川談志逝去 "師匠"の死に"弟子"ビートたけしは何思う......

"落語界の風雲児"と呼ばれた立川流の家元の立川談志師匠が、21日に喉頭がんで亡くなっていたことが明らかになった。

 少し前にビートたけしが「談志師匠のお見舞いに爆笑問題の太田(光)と行かなきゃな」と言っていたことを覚えている。実際にお見舞いに行ったかどうかは確認していないが、たけしは20日ごろから、『たけしアート★ビート』(NHK-BS)の海外ロケでヨーロッパに行っていたはず。そのため、どのメディアも、訃報直後にたけしコメントを発表していないが、彼自身は尊敬する師匠の死に目に会えず、さぞ悔やんでいることだろうと思う。

 談志師匠は、ブラックユーモアと毒舌で独自の世界を築き上げて、落語界から異端児扱いされたこともあったが、落語の腕前を取っても師匠の右に出るもはいないと確信しているのは筆者だけではないはず。お笑い芸人としてのたけしの原点も「ブラックユーモアと毒舌」であり、それゆえ、彼は談志師匠に弟子入りまでしたのだ。談志師匠もたけしの才能を認めて、「立川錦之助」という高座名を与えている。

 2010年8月に発売された「新潮45」(新潮社)では、談志師匠とたけしに爆笑の太田も加わって、歴史に残るブラックユーモア対談が実現した。この対談記事の見出し通り、「最後の大"毒"演会」になってしまったのが残念でならない。

 今年の夏には、こんなことがあった。たけしが客員編集長を務める東京スポーツのインタビューで、彼に「『笑点』(日本テレビ)の司会者がタモリに代わるといううわさがあるけど、どう思う?」と振ると、開口一番「あのおやじ(司会の桂歌丸)何も面白くないもん。大喜利のネタは全部、何人もいる作家が考え出したものだし」と暴露して、「三遊亭圓楽を始め、みんなクビにした方がいいよ。もともと『笑点』に司会は立川談志さんがやっていて、若手の面白い落語家が出ていて、大喜利もハイレベルだった。ハイレベルすぎて視聴者がついていけず、視聴率が取れなかった。それを思うと、談志さんはいかにすごい落語家だったか」と絶賛していた。

 たけしが訃報直後にお悔やみのコメントを求められたとしても、こうした談志師匠譲りの毒のあり、真実をついた言葉を発していたのではないか。

 少し前に"落語ブーム"と呼ばれる時期があったが、そこから談志師匠のような真のスターは生まれていないし、たけし自身が実力を認めている噺家は一握りしかいない。そんな中で、最近は高座に上がることがないたけしが以前「落語をやってみたい」と語っていた。談志師匠の死を機に、師匠の意志を継いでチャレンジするのもいいかもしれない。"落語界の風雲児"の死に改めて合掌!